テージョ川の公女


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司馬遼太郎氏の著作「街道を行く23~南蛮の道Ⅱ」の中に「ポルトガル・人と海」に「テージョ川の公女」という項がある。ポルトガルに行くと決めてから、何度も読んだ。大好きなので、少し長く引用させていただく。

さらに河口ちかくまでゆくと、水中の岩礁に美しい大理石の塔が立っている。塔というより小城郭といったほうが正しい。

ベレンの塔とよばれ、十六世紀のものである。日蔭の面は海風に錆びて老いた貴婦人のように陰鬱な表情をしているが、陽がさす面は、はじめて社交界に出た少女の頬のような血色をしていて、ういういしい。この塔に感ずるものは、つめたい力学ではなく人格であり、それも女性を思わせる。

塔が女性的であるところに、ポルトガル人のやさしさを感ずることができないだろうか。ながい航海のすえ、母国の加工港に入ってくる船は、船体も傷み、ひとびとは疲れ、女性を恋い、さらには故国において母性を見出すべく心が渇ききっている。かれらが夜、港外で塔の灯を見、朝、塔の姿を見たとき、生きてリスボンにたどりついたという思いが、体中を溶けさせるのにちがいない。そういう感情を、この塔の発注者も設計者も施工者も悲しいばかりに知っていた。

正式名称は「サン・ヴィンセンテの砦」と呼ばれ、16世紀にテージョ川を行き交う船を監視し、河口を守る要塞として建てられた見張り塔。

陽が沈むのが21時頃の季節だったので、訪れた時はまだとても明るく、閉館という看板に驚いた。時計は17時を回っていた。入れなくて残念だったけど、外観だけで十分だよというガイドのフォローを信じることにした。

ベレンはキリストの生誕地「ベツレヘム」のポルトガル読みらしい。なぜそう呼ぶのかは調べきれていない。ただいろいろ思うに、エンリケ王子が建設したとされる礼拝堂の跡地に、大航海時代で東方貿易でもたらされた巨万の富を使って壮大な修道院を建築したこのエリアは、ポルトガルにとって歴史的な別格の特別な場所に違いない。

近くにあるのが↓

Trip here and there

 

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