「バジリカ」(ファティマ大聖堂)
巡礼の中心地であったり、聖人の遺骨や聖遺物が安置されていたり、宣教の重要な拠点であるなどの理由により、教皇にその称号を与えられた教会だけが「バジリカ」と名乗ることができるそうです。
ファティマは首都・リスボンの北東、車で1時間半くらいの距離にある、元来は小さな農村の町。1917年に起こったとされる「ファティマの奇跡」以来ローマ・カトリックの巡礼者を中心に国際的な巡礼地として有名。
「ファティマの奇跡」
第一次世界大戦の最中の1917年5月13日、ファティマに住む3人の牧童の前に、聖母マリアが姿を現わしたといわれます。
3人の牧童はルシアという10歳の女の子、ルシアの従弟でフランシスコという男の子、そしてその妹で7歳のヤシンタ。彼らは、祈り方は知っていましたが、読み書きは誰も知りませんでした。
この日、3人がいつものように羊たちを連れて丘の上で遊んでいると、突然、強い閃光が走り、小さな柊の木の上に、光そのもののように輝く貴婦人が立っていたといいます。
貴婦人は子供たちに、6ヵ月間続けて、毎月13日にここに来るように望み、子供たちはその言葉に従って、妨害にあいながらも毎月貴婦人に会いました。
3度目の邂逅となった7月13日、貴婦人が両手を広げると、3人の子供は一瞬ですが、強い光線とともに火の海のような光景を見せられました。
そこでは悪魔や人間のかたちをした霊魂が、絶望と苦悶のうちに火の固まりとなっています。貴婦人は、これは地獄の様子であると告げました。子供たちは地獄の実在に戦慄します。
そして貴婦人は「私があなた方に言っていることがなされるならば、多くの霊魂が救われ、戦争は終わるでしょう。しかし人々が神に背くことをやめないならば、もっとひどい戦争が起こるでしょう」と警告しました。
さらに貴婦人はロシアの奉献を求め、「その求めに応じればロシアは回心し、平和が来るでしょうが、そうでないならばロシアは戦争と教会の迫害を引き起こしながら、その誤謬を世界中に広めるでしょう。善い人々は殉教し、教皇は多くの苦しみを受けるでしょう」と警告します。
貴婦人の言葉が、第二次世界大戦と共産主義革命を指しているといわれています。
なお3回目の出現の時には、子供たちの他に800人~1000人以上もの人が立ち会っていました。8月は、子供たちは行政側の弾圧で町に連れていかれ、貴婦人の出現に立ち会うことはできませんでした。
しかし子供たちの話を信じる巡礼者が、2万人近く集まっており、彼らは強い閃光とともに木の上に白い雲が降り立ち、また空に上っていくのを見たといいます。
またその6日後の8月19日、祈りを捧げようとする子供たちの前に、予期せぬかたちで貴婦人が現われました。
9月13日の5回目の出現の時には、貴婦人は子供たちに、「10月13日には、すべての人が信じるように、一つの奇蹟を行ないます」と告げます。9月13日には3万人ほどの人が集まっていましたが、多くの人が空を移動する球体を見たり、白い花びらのようなものが降ってくるのを見ました。
そして10月13日。その日は朝から雨でしたが、前月を上回る大群衆が集まりました。出現した貴婦人は子供たちに、「私を称えてここに聖堂を建てることを望みます。私はロザリオの聖母です。毎日ロザリオの祈りを続けて唱えなさい。戦争は間もなく終わるでしょう」と告げます。
そして聖母が去っていく時、ルシアは聖母に促され、「太陽を御覧なさい」と叫びます。すると降り続いていた雨が急に止み、雲が切れて太陽が顔を出しました。
太陽は様々な色の光線を発した後、ダンスをするかのように動き、時に急降下するように動きました。その熱で雨に濡れていた群集の服は乾き、この10分間の異常現象は居合わせた新聞記者たちも目撃して、翌日のポルトガル中の新聞が大々的に報じました。
1930年、現地管区のレイリア司教によって聖母の出現は公認され、同年、教皇ビオ12世によって、ファティマに参詣する者の贖宥が宣言されます。 またカトリック教会・ローマ教皇庁は一連の現象を聖母の出現と公認し、5月13日をファティマの聖母の記念日としました。
なお3人の牧童のうち、フランシスコとヤシンタ兄妹はほどなく天に召され、最年長のルシアは修道女となって、預言の内容を教皇庁に伝えます。
※上述内容は、歴史街道「ファティマの奇跡とは~封印された聖母マリアの予言」https://shuchi.php.co.jp/rekishikaido/detail/3883を参考にさせていただきました。
巨大な大広場の収容人員は30万人以上。毎月13日、特に5月と10月の大祭には巡礼者で埋め尽くされるそうです。
今回、ぼくが心を打たれたのは、跪きながら膝でずさるように広い広場を移動されておられる方を数人お見かけしたことです。身体のどこかが病気の方が祈るように移動されている風景は失礼だと思い、写真には撮っていません。
バジリカの中。キリストの受難が描かれています。
中央祭壇
1981年、元ローマ法王ヨハネ・パウロ2世がバチカンで狙撃された日は偶然にも、ファティマに聖母マリアが初めて現れたのと同じ5月13日だった。重傷を負った法王はその後奇跡的な回復を果たされ、マリア様のご加護があったためとし、翌年5月13日にファティマを訪れた。
リスボン発で独自の文化を持つ5つの街を巡るツアーのラストがファティマでした。素敵なガイドさんの説明を聞きながらゆっくりと廻り、自分自身のことや家族のこととかいろいろ考え、聖母の暖かさを感じた気がします。そんな空間で時間を過ごせ、帰路のバスで無性に嬉しく思っていました。
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