レンブラントの晩年を想う時間

アムステルダム国立美術館の二階にある『名誉の間』には名画が多く展示されていて圧巻だった。レンブラントの

夜警
織物商組合の幹部たち 1662

レンブラント・ハルメンスゾーン・ファン・レインの波乱に満ちた生涯がとても心に残った。特に早死した息子のことが印象的だった。

 

ガイドの方から薦められた『レンブラントの家』へ三日目の朝に出かけた。

中央駅から南東へ徒歩10分

レンブラントの家(Museum Het Rembrandthuis、レンブラントハイス美術館)は、オランダのアムステルダムにある、画家レンブラント・ファン・レインが1639年から20年間住んでいた家を利用した博物館・美術館である。

1606年に建てられた豪邸であったが、レンブラントは1639年に13,000ギルダーの大金で購入し、妻サスキアとともに引っ越した。彼は『夜警』の注文を受けるなど当時経済的に絶頂期にあったが、1642年にサスキアは世を去り、レンブラントは借金が重なって1656年に破産し、1658年には家は競売にかけられてしまった。


1906年のレンブラント生誕300年記念を期にこの家は残されることとなり、1911年に博物館として開館した。内部はレンブラントが住んでいた当時のように再現してある。

(Wikipediaから引用させていただきました)

アトリエ

 
 
 
アトリエ

隣接の新館ではレンブラントのエッチングが200点以上とエッチングを刷る機械などが展示されている。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
レンブラントの家の周辺
イサクとリベカ
ユダヤの花嫁
アムステルダム国立美術館

数あるレンブラント作品の中で特に魅力的なのは『ユダヤの花嫁(イサクとリベカ)』です。これは作家晩年の代表作で、厳粛でありながら温かい詩情性を感じさせます。謎めいた雰囲気も漂わせることから『ユダヤの花嫁』と呼ばれてきた作品ですが、イサクと妻リベカを描いたもので、旧約聖書に題材をとっています

自画像
マウリッツハウス王立美術館
デン・ハーグ

人気の絶頂から転げ落ちるように環境が変わってしまい、愛する家族を相次いで亡くす中で、レンブラントは一人キャンバスに向かい、多くの自画像を描きました。1669年、レンブラントが63歳で亡くなるまで書き続けた彼の心情を思いとても辛く感じた。三日間の駆け足トリップだったが、考えさせられる有意義な時間を過ごせた。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

ABOUTこの記事をかいた人

Japanese, born at Ise-city, listening Each Otaki esp Go!Go!Niagara, watching movies #fav Love Actually and TV-series Law and Order initial, boarding Star Alliance esp NH, living at Osaka-city in Japan, drawing biginner, swimming slowly, playing cherry jazz piano on leave and loving two daughters.