ピアノの魔術師リストフェレンツ

あの日、午後は自由行動だった。街歩きして、リスト音楽院を見つけた。

いまなら、少しは勉強したので、リストに関する知見もついてきたようにおもうけど、訪れた当時はほとんど素人みたいな状態で、スタンスもミーハーだった。

ハンガリーが生んだ偉大な作曲家リスト・フェレンツはドイツ、オーストリア、フランス、スイス、イタリアなど生涯のほとんどを外国で過ごした。しかし、晩年はブダペストに滞在することが多く、現在のリスト音楽大学の前身である王立音楽院を設立して音楽家の育成に専念したそうだ。

ブダペストでリストが最後の拠点としたのはアンドラーシ通りに建てられた館で、音楽院をここに移し、彼も館の2階に住んで音楽を教えていた。住居部分は現在リスト記念館になっている。その後音楽院は手狭になり、リスト・フェレンツ広場に立派な建物の新校舎が完成。その後、リスト音楽院と命名され、21世紀に正式名称はリスト・フェレンツ音楽大学となった。

地下鉄のオクトゴン駅を降りて徒歩5分。年がら年中さまざまなコンサートが催されているそうだ。音楽院の中はホールや教室を除けば、入場券がなくとも見て回る事ができる。

華麗で荘厳な飾りが施された壁や天井、階段の手すり…至る所に独自の物語があると云われる。大ホールの内部は存在感あるパイプオルガンを始め見どころいっぱいで、天井を始めありとあらゆる場所に音楽学校らしいメッセージが潜んでいるように感じた。

ほんとうは音楽大学を卒業した娘の解説を聞きたかったのだが、残念ながら二人は別行動だった。
夜になって、市内の路地で、若者に追いかけられたと聞いた。驚きながらも、よく逃げれたもんだと無事に感謝した。

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