労働ストという日本では経験しない仕組みがドイツにはあった。市内へ向かうSバーンも電車が止まったのでやむを得ずタクシーで美術館に向かった。シュテーデル美術館は市内中心部からマイン川を渡った南側にある。着いたのが開館前だったので散歩していた。気温は2℃くらいで風が冷たかった。
エドヴァルド・ムンク
嫉妬
旧約聖書の一場面で、多くの画家に描かれている
これは、ユダヤ捕囚時代のバビロンの物語です。
裕福なユダヤ人の妻スザンナは、庭で水浴をする習慣がありました。ある日、それを知った二人の長老が、召使いがスザンナ一人を残して去ったのを見はからい、水浴しようとしていたスザンナにせまり、自分たちと関係を結ばなければ、おまえが若い男と密通しているのを目撃したと公共の場で申し立てるぞ、と脅迫しました。当時、姦通罪は死刑に相当する重罪であったわけですが、スザンナはきっぱりと彼らをはねつけ、声を上げて助けを求めました。
望みをくじかれた長老たちは、狡猾にも、脅迫を実行に移します。スザンナは、偽証のかどで法廷に召喚され、有罪となって死刑の宣告を受けてしまうのです。しかし、そこへ青年ダニエルが歩み出て長老たちに詰問し、二人の別々の証言が相矛盾することを証明して、やっとスザンナの無実が認められます。純潔の徳は、ついに邪悪に打ち勝ったのです。「mariのページ」から引用
研鑽を重ねたクラーナハは、1520年代には独自の様式を確立させます。《ヴィーナス》で描かれているのは、小さな丸顔に、狐にようにつり上がった目、リズミカルなS字を描いて浮かび上がる体。全体的に肉付きが薄い少女のような体型の、独特の裸体像です。《ヴィーナスとキューピッド》にも登場した紗の布を両手に持つポーズは、自分を見ることを促しているかのようです。
小ぶりな乳房やなで肩、膨らんだ腹部といったいくつかの要素は、ドイツに長く根付いたゴシック美術の表現と共通しています。クラーナハは研究を重ねるなかで、伝統的なゴシック美術の表現方法を吸収・昇華し、洗練された新たな美をつくり上げていったのです。
また、黒無地の背景も彼の工夫のひとつでした。これによって裸婦は背景の「物語」から切り離され、人間というよりも繊細な工芸品のような「見られる対象」として、私たちの前に現れるのです。このように描かれたクラーナハの裸婦像は贈答用にも使われ、国内外に流布していきました。
美術手帖webより引用
下記の絵画は当日展示なくwebからの引用させていただきました
[…] 昼食 1868シュテーデル美術館(3月訪問) シュテーデル美術館で名作鑑賞 モネのアトリエ舟 1874 ヴェトゥイユの教会 1880 エトルタのラ・マンヌポルト 1886 ヴェンティミーリア […]