『アルルのゴッホの寝室』(1888年)
本作は、ゴッホが大きな希望と高い制作意欲を抱いて滞在していた南仏アルルで制作された作品。画家たちの共同生活場所を想定して借りられた「黄色い家」の自身の寝室が描かれている。
弟テオに宛てた手紙の中で本作について次のように述べている。「僕は自分の寝室を描いた。この作品では色彩が全ての要であり、単純化した物体は様々な色彩によってひとつの様式となり、観る者の頭を休息させる。僕はこの作品で絶対的な創造力の休息を表現したかった。」
画面右側の大部分にゴッホが使用していた木製のベッドが置かれ、そこに沿う白壁には二枚の肖像画と不可思議な絵画が飾られている。ベッドの反対側には椅子が一脚置かれており、この椅子は本来白色をしていたことが判明している。
画面右側には小さな木机とそこに置かれる瓶や水差し、さらに画面手前に画面中央の椅子とほぼ同様の椅子が配されている。正面の壁には三角形の窓と、その両脇に風景画らしき絵画が掲げられている。
『ウジェーヌ・ボックの肖像』(1888年)
本作は、ゴッホが南仏アルル滞在時に、弟テオを通じて知り合ったベルギー出身の職業画家であり、詩人でもあったウジェーヌ・ボックを描いた肖像画作品。ゴッホ自身はウジェーヌ・ボックと本作について次のような言葉を残している。
「彼はダンテを思わせるような風貌の持ち主で、オラニエ公ウィレム1世時代のフランドルの紳士貴族を連想させる。彼が親切な男でも誰も驚かないだろう。そして彼は無限の空間の中に輝く蒼白い星の神秘的な光に包まれるのだ。」
画面中央やや上部にウジェーヌ・ボックの顔面が配され、瞳の方向こそ観る者へと向けられているものの、その視線は別の何かを見ているようである。背景には、まるで夜空の星々を思わせるように深い青色の中へ白色の点が散りばめられており、夢想家としてのウジェーヌ・ボックを強調させている。
『アニエールのレストラン・ド・ラ・シレーヌ』(1887年)
ゴッホは弟のテオと共にパリ北部で暮らした。質素でも田舎へ休暇をとる程度の余裕はあったそのほかの印象主義の画家たちとは異なり、ゴッホは自らの困窮した生活に応じた選択をして、自宅近くの場所を探した。
アニエールはセーヌ河岸にある街で、パリからさほど遠くもない。ゆえに、彼はそこで橋の景色をいくつか素描したり油絵を制作したりした。レストラン・ド・ラ・シレーヌもそこにあった。
本作は、陽気で愉快な楽しみのある戸内よりも、建物の外の景色を描写している。印象主義者、とりわけルノワールは、しばしばレストランを描いたが、屋内の雰囲気を思わせる絵をより好んだ。
本作においてゴッホは、彼がパレットの絵具を豊富に使えた限りにおいて白色の筆跡をふんだんに取り入れた。また本作はゴッホの作品のうちで最も印象主義に近い技法で描かれたものであるといわれている。
『渦巻く青い背景の中の自画像』(1889年)
神経発作によりサン・レミのカトリック精神病院サン・ポールへ入院していた時代の自画像作品。ゴッホの自画像作品の中では最後期の自画像としても広く知られている。
画面中央へやや斜めに構え、白いシャツと上着を着たゴッホの上半身が描かれている。また青い渦巻き模様風の背景の描写は、画家の不安定で苦悩に満ちた感情が、あたかも蒼白い炎となってうねりながら燃え立つ渦巻き模様として具現化しているようである。
サン・レミ時代のゴッホは自室のほか制作部屋が与えられるなど、比較的自由な入院生活の効果もあり、精神状況も回復(安定)しつつあったものの、それでも本作で表現される画家自身の姿からは狂気的で異様な画家の精神的内面が如実に感じられる。
※上述4記事はサルヴァスタイル美術館より引用させていただきました。http://www.salvastyle.com
『オーヴェールの教会』(1890年)
本作は、精神的に不安定となったゴッホが、パリ北西イル・ド・フランス地域圏のオーヴェール・シュル・オワーズに赴き、画家の友人でありセザンヌなど新しい芸術家たちへの支援を惜しまなかった医学博士ポール・ガシェのもとで、治療・療養生活を過ごした最後の二ヶ月間で手がけられた80点あまりの作品の中の1点で、12世紀頃に同地へ建てられ、以後改修が重ね続けられてきた「教会」を描いた作品。
空間が渦巻いた深い青色の空を背景に、逆光的に影の中に沈む重量感に溢れた本作のオーヴェールの教会は、何者をも寄せ付けぬような、不気味とも呼べるほど非常に厳めしい雰囲気を醸し出している。そして構造的にはほぼ正確に描かれているものの、その形体は波打つように激しく歪んでおり、教会の近寄りがたい異様な様子を、より一層強調している。
やや長めで直線的な筆使いと共に、本風景に示される精神的迫真性は圧巻の一言である。さらに色彩表現においても、画面中央から上部へは、まるで教会が負のエネルギーを放出しているかのような暗く重々しい色彩を、下部へは一転して、大地の生命力を感じさせる明瞭で鮮やか色彩が配されており、この明確な色彩的対比は画家の数多い作品の中でも秀逸の出来栄えといわれている。
(「教会」の記事はhttps://www.musey.net/からの引用です)
『二人の子供』
ゴッホも浮世絵に熱中し、模写したり、浮世絵の手法を取り入れた絵を描いたりしている。19世紀後半のジャポニスムは一時の流行といった表面的なものではなかったようだ。
浮世絵はヨーロッパの画家の自然を見る目を本当に変えたのか?ロイスダールからテオドール・ルソーまで、西欧の風景画は見るものを謙虚な瞑想に誘う。自然の大きさ、静けさの瞑想が心を浄化する。
(※本稿は松浦茂長氏の記事を参考にさせていただきました http://mercuredesarts.com)
『自画像』(1887年)
ゴッホは10年ほどの画業の中で、パリに移住して以降、約37点の自画像を描き残した。これは、印象派や浮世絵との出会いによる意識や画風の変化の他に、現実的なものとして、彼がモデルを雇う金がなかったため、手っ取り早く自身を描くことにしたというものと、まず自画像を描くことで他人の肖像画を上手く描けるようになるための習作としたという理由が考えられている。また、パリ移住以前の自画像がないのは、像が映るほどの大きさの鏡を持っていなかったためとされている。
(※本稿はwikipediaより引用させていただいた)
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