ロスバゲされた苦い過去

目次

  • ダナン空港
  • 疑惑はドンムアン
  • いまなら懲戒解雇

ダナン空港

16年前の写真は、ベトナム中部にあるダナン空港。小さい空港なので、沖止めでタラップを降りて、ターミナルまで歩いた。預けた手荷物を受け取ろうと待っていたが、ぼくの鞄は出てこなかった。

あの時は、会社に入って初めての海外出張だった。工場の経理をしてたので、海外出張とは縁が薄かった。46歳の時に、やっと財務・経理から離れることができた。それからは事業企画を担当することになったのだが、お前はなんにも知らないからと事業部長から言われ、駆け足で海外を見てくるように指示を受け出かけた。

大船から朝の成田エクスプレスに乗り、成田空港から北京に飛んで泊まり、翌日に北京近郊の子会社工場を見学した。その翌日だったか北京からバンコクに飛んだ。中国人がいっぱい乗っててすごく煩かったことを憶えている。そしてその翌日にバンコク郊外の子会社工場を見学させてもらった。

次の日だったと思うが、バンコクからベトナムのダナンに飛んだ。ベトナムの南北を繋ぐ大動脈となるハイバントンネルに機器を納入している現場を見る目的だった。バンコクから東に飛ぶ機体は小さかった。窓の下にベトナムが見えてきた。

ダナン空港で待っていたが、預けた荷物は出てこなかった。乗っていた乗客は少なく、すぐに無いことが判った。諦めて、泊まる予定のダナン市内のホテルまで届けてくれるように頼んだ。しかし待っていても、荷物は届かなかった。翌々日に車で山越えして、南のホーチミンに移動した。

疑惑はドンムアン

なんども航空会社に電話してもらったが、なかなか荷物は見つからなかった。バンコクから出た時、半袖のポロを着ていた。結局、その着の身着のまま帰ることになった。

ホーチミン発深夜のANA便で帰国した。機内冷房がとても寒く、毛布に包まった。自宅の駅に着いとき、会社の先輩に会った。どうしたん、その恰好は?と笑われた。10月も後半だった。


サイゴン

バンコクからはタイ航空だった。タイ航空の日本支社は有楽町にあった。帰国後に足を運んだけど、攣れない返事だった。

あの頃のぼくは、飛行機に関して無知に近かった。横着をして、手荷物を減らし、ほとんどの物を鞄に入れて預けてしまった。パソコン・カメラ・現金、おまけに新着スーツも中にあった。さらに、1週間前の誕生日に家族から貰ったベストも入っていたので、とても後を引いた。

間違って違う空港に運ばれた場合は、3日くらいで出てくるそうだ。その期間を超えた場合は、空港での盗難が多いらしい。いまはスワンナプーム空港に替わったが、当時のバンコクはドンムアン空港だった。

ベルトコンベアに乗った荷物の中身をレントゲンで見て、カバンを抜くことで有名な空港だと、懇意にしてたディレクターさんから後で聞いたけど、すでに遅かりし由良之助であった。多額の商品などをたくさん入れてたのだから、しっかりチェックされたにちがいない。


ダナンの風景

いまなら懲戒解雇

情報セキュリティが厳しくなる直前だった。パソコンは肌身離さず持参は鉄則だから、いまの基準だと懲戒解雇のレベルだろう。損害保険でそこそこ戻ってきたが、普通のカードだったので15万円が上限だった。海外にはゴールドカードが必須と学んだ。ゴールドなら50万まで補償されるので、ほとんどカバーできるよと先輩に教えてもらった。

あの時以降、海外へ行く機会がとても増えた。数年後に関係会社に出向してからは、毎年のように出かけることになった。荷物を預けるたび、思い出して慎重になった。着いてから荷物が届かなくても支障ないように、いつも備えている。しかし、あれ以来、ロスバゲには巡りあっていない。

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#fav Each Otaki, Law&Order, Richard Curtis screenwriter famous for Love Actually, boarding Star Alliance, now living at Osaka-city in Japan, drawing biginner, swimming slowly, playing cherry jazz piano on leave and loving two daughters, born at Ise-city, Japanese.