『黄色いキリストのある自画像』1891年
10代後半の頃のポール・ゴーギャンは、航海士として南米やインドを訪れていたそうだ。二十歳からの数年間は、海軍に在籍して、普仏戦争にも参加したと聞く。
その後、ゴーギャンは株式仲買人となり、デンマーク出身の女性メットと結婚。ごく普通の勤め人として、趣味で絵を描いていた。この頃のゴーギャンはまだ一介の日曜画家だった。勤めを辞めて、画業に専心するのは、彼が30代後半であった。
そして、ブルターニュ地方のポン=タヴェンを拠点として絵画を制作していた。南仏アルルでゴッホと共同生活を送った。
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『扇面のある静物』1889年
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『美しいアンジェラ』1889年
1891年、西洋文明に絶望したゴーギャンは、楽園を求めて南太平洋(ポリネシア)にあるフランス領のタヒチ島に渡る。画家の理想を求めタヒチに行く前の自信に満ちた自画像がタイトルの絵。
『タヒチの女』1891年
『アレアレア』1892年
しかし、彼が夢見た楽園はそこにはなく、貧困や病気に悩まされたゴーギャンは帰国を決意し、1893年フランスに戻った。その後、叔父の遺産を受け継いだゴーギャンは、パリにアトリエを構えるが、絵は売れなかった。
また、一度捨てた妻子にふたたび受け入れられるはずもなく、同棲していた女性にも逃げられ、パリに居場所を失ったゴーギャンは、1895年には再度タヒチに渡航した。
『白い馬』1898年
タヒチに戻っては来たものの、相変わらずの貧困と病苦。希望を失い、死を決意するに至ったようだ。
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どんなに頭の明晰な人でも、恋に終わりのあることは理解しえても、それを実感することはできない
(ゴーギャンがモデルのサマセット・モームの小説『月と六ペンス』にある名言)
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パリ、オルセー美術館
訪れたのは2016年11月1日
[…] タヒチに行く前のゴーギャンは自信溢れて […]