京都・モネ・光に浸る Le dernier Monet

京都の空は晴れていた。陽射しは少し痛く感じたが、風がひんやりして気持ち良かった。京阪電車の三条で降りて、バス停で並んでいたが、到着した5系統の市バスは噂の通り満員でほんの二人しか乗れていなかった。バスを諦めて15分ほど歩いて、平安神宮の近くにある岡崎公園に向かった。

京都市美術館
(京セラ美術館)
日本の橋 1918

ポール=ヴィレのセーヌ河
ばら色の効果 1894
睡蓮 1919

印象派の巨匠クロード・モネ
日本初公開作品7点を含む およそ50点が春の京都に集う、究極のモネ展。
大画面の〈睡蓮〉に包まれた、風景の中へ。

印象派を代表する画家のひとりであるクロード・モネ(1840-1926)は、一瞬の光をとらえる鋭敏な眼によって、自然の移ろいを画布にとどめました。しかし後年になるにつれ、その芸術はより抽象的かつ内的なイメージへと変容してゆきます。
モネの晩年は、最愛の家族の死や自身の眼の病、第一次世界大戦といった多くの困難に直面した時代でもありました。そのような中で彼の最たる創造の源となったのが、ジヴェルニーの自邸の庭に造られた睡蓮の池に、周囲の木々や空、光が一体となって映し出されるその水面でした。そして、この主題を描いた巨大なカンヴァスによって部屋の壁面を覆いつくす“大装飾画”の構想が、最期のときにいたるまでモネの心を占めることになります。
本展の中心となるのは、この試行錯誤の過程で生み出された、2mを超える大画面の〈睡蓮〉の数々です。

世界最大のモネ・コレクションを所蔵するパリのマルモッタン・モネ美術館より、日本初公開作品を含むおよそ50点が来日。さらに日本各地に所蔵される作品も加え、モネ晩年の芸術の極致を紹介します。日本では過去最大規模の〈睡蓮〉が集う貴重な機会となります。

(公式サイトから引用)

睡蓮の池 1919
睡蓮 柳の反映 1919
睡蓮 1917
荘厳な館内

ジヴェルニー近くのセーヌ河支流
日の出 1897
キスゲ 1917
アガパンサス 1917
美術館 正面
 

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#fav Each Otaki, Law&Order, Richard Curtis screenwriter famous for Love Actually, boarding Star Alliance, now living at Osaka-city in Japan, drawing biginner, swimming slowly, playing cherry jazz piano on leave and loving two daughters, born at Ise-city, Japanese.